大物政治評論家の変節、森田実の場合
昔の安保闘争の指導者たちが時が経って今、
共産党の中心となっている。その典型的な例
1955年から1960年ごろ、全学連の
そのころ私は『全日本物理科学生協議会』
(全物協)会長をしていた。これはただ物
理学を学ぶ学生の懇親会で政治運動とは無
関係だったから森田実との関係も一切なか
った。
ところが1961年ごろウィーンで世界的
な『国際青年友好祭』が開かれ、ここに全物
協も参加することになり私が派遣されること
になった。主催団体の中に国際学連があり全
学連からもはけんされていたから森田実に挨
拶に出向いた。
彼はこの時まじめな顔をしてこう言っての
けた。『ヨーロッパか、いいな、第一おんな
がいいぞ。どこでも自分はパリ出身というか
ら注意しろ!』アホか!!このときから私は
全学連も森田も信用しなくなった。
私は正しかった。森田実はその後変節をく
明新聞にはコトあるごとに反共記事を書いて
いる。アホか!!