正月の上流階級の絵姿のマネはどうですか?!

 私は常日頃明るく陽気で楽天的なせいか、自分は

貧しい東北の農村部で生まれ育ったことなど思い出

したことも無ければ、ましてヒトにしゃべったこと

もない。生まれや育ちなど自分の性格や素質になん

の関係もない、とヘンな自信も持っているのだ。

 ところが年に一度、正月だけは違う。正月の新聞

やテレビには皇室をはじめ上流階級の皆様方の晴れ

姿や歩き方などがこれでもか、これでもかと連日写

しだされる。男性の皆様方は揃いもそろって黒の背

に黒の靴。

 私だって黒い靴も黒の背広も持っている。しかし

その同じ黒でも上流階級の黒は私の黒とは違う。黒

光りだけならなんとかごまかせても私のは下品な黒

だから嫌になる。下品な黒は光とか輝きがない。輝

きと言ってもただ光っているのではない。黒の底に

どことなく光がただよっているのだ。

 正月は嫌だなあ!私も正月ぐらい上品な黒で固めて

近所のばあさんたちをうならせたいものだ。

ピリカチカッポ(美しい鳥)

石村博子著のアイヌ神謡集のタイトルである。東北の片田舎

赤生という、日本語にはない漢字の土地に生まれた私は、高

校生ぐらいの時から自分はアイヌ民族と思ってきた。だから

上記のアイヌ神謡集という言葉は心の奥底をえぐられるよう

な感動をおぼえた。

 しかしこの本をわくわくしながら読み進むうちそのどこに

もその神謡らしきモノが出てくることはなかった。がっかり

した。本のタイトル、ピリカチカッポで我慢するか。

近所のイオンタウンの庭、チリ一つないのにゴミ拾い

 いやはや、実に恐れ入ったはなし。近所のイオンタウン

の駐車場で家内の買い物を待っている。駐車場は掃除が

行き届いて舐めたようにきれいなのだ。それはそれで良

いのだがフト気がつくとその中を掃除の人が動き回って

いるのだから恐れ入る。私の目には入らないような極く

小さなごもこの人の目には入るのだ。最初このゴミを手

にもつハンドで拾おうとしたがうまくいかないらしく今

度はしゃがんでこすりとっていた!きれい好きにも限度

がある!

ウォルフガング2さん、研究助手はお断り

研究助手は通常大学院博士後期課程の人を採用

します。『20年ニートしていた50歳のあなた』

を採用するほどわれわれに余裕などありません。

『研究助手』はそれ相当なレベルの高い職種です。

 

北欧2国のNATO加盟、米大統領のほくそ笑み

 フィンランドスウェーデンの北欧2か国が、ここに

きてバタバタと『反ソ軍事同盟』であるNATOに加盟した。

ソ連はとっくに崩壊してロシアとなって弱体化したのだか

ら何のためにNATO加盟を急いだのか?そもそもNATOはも

はや有名無実の軍事同盟ではないのか。

 NATOを存続させ、加盟をせまるアメリカの意図は何か?

それはアメリカの経済同盟というNATO変革である。つまり

アメリカの世界経済支配の枠組みなのだ。

 北欧2か国はソ連と対峙しながらうまく生き延びてきた。

そのためには率先して社会主義体制を採り入れた。ソ連より

『進んだ社会主義』となった。

 その北欧2か国がいまさら何故『反ソ軍事同盟NATO』なの

か?それはこの北欧2か国がアメリカの経済同盟に入り、ア

メリカの稼ぎの一部の『おこぼれ』を手に入れようというもく

ろみなのだ。

 これは典型的な日和見主義である。アメリカ自体が世界経済

日和見主義と化している今日、このような日和見主義は通用

しない。

日本学術会議の右傾化、軍事研究を容認

 日本学術会議は公に軍事研究を認めた。これは

人殺しのための研究を認めたもの、学術という誇

り高いイデオロギーを捨てたもので容認できない。

 理由は笑うべき幼稚なものである。『本来の学

術研究と軍事研究が二分することができなくなった

ため』と言うものだ。

 もともと本来の学術研究と軍事研究の区別など

出来なかったのだ。区別は出来なかったが科学の

本来の誇り高いイデオロギーによって軍事研究を

否定しつづけてきた。否定するイデオロギーこそ

が重要であった。これは科学者の

   良心

の問題なのだ。

 学術会議の右傾化よって科学者の良心を否定し

たのだ。もはや日本学術会議はいらない!

白河の関は超えぬと。。。

那須の自宅から40分ほどで白河の関を超える

ことができます。この地はいにしえの旅人の面

影に出会えるので私は気が向くとでかけます。

 歌碑の歌は味なものです。

 平兼盛

  便りあらば いかで都へ告げやらむ

    今日白河の関は越えぬと

 能因法師

  都をば 霞とともに立ちしかど

     秋風ぞふく 白河の関

 上の二つのうたはいかに白河の関がみちのく

の遠い遠い辺鄙な奥地にあるか嘆いています。

 それにしても能因法師はあきれてしまいます。

京都からゆっくり歩いても白河の関までは2週

間です。当時の2週間の距離などたいした距離

ではないのです。ところが能因法師

 『3月の春霞のとき京都を出発して、白河の

関には秋の日に着いた』

と大ウソをついています。3月から9月までみ

ちのくを歩けば北海道の先まで行くでしょう。

 それほどまでに白河の関は都人にとって辺境

だったのです。白河の関の先は蝦夷地でした。

私は蝦夷地に生まれ蝦夷地で育ちました。