白河の関は超えぬと。。。

那須の自宅から40分ほどで白河の関を超える

ことができます。この地はいにしえの旅人の面

影に出会えるので私は気が向くとでかけます。

 歌碑の歌は味なものです。

 平兼盛

  便りあらば いかで都へ告げやらむ

    今日白河の関は越えぬと

 能因法師

  都をば 霞とともに立ちしかど

     秋風ぞふく 白河の関

 上の二つのうたはいかに白河の関がみちのく

の遠い遠い辺鄙な奥地にあるか嘆いています。

 それにしても能因法師はあきれてしまいます。

京都からゆっくり歩いても白河の関までは2週

間です。当時の2週間の距離などたいした距離

ではないのです。ところが能因法師

 『3月の春霞のとき京都を出発して、白河の

関には秋の日に着いた』

と大ウソをついています。3月から9月までみ

ちのくを歩けば北海道の先まで行くでしょう。

 それほどまでに白河の関は都人にとって辺境

だったのです。白河の関の先は蝦夷地でした。

私は蝦夷地に生まれ蝦夷地で育ちました。